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私は「わからない」に出会う。その2

システマ ロシア旅行

長い引きこもりの賜物か、天性のものなのか、私は素晴らしいほどの方向音痴である。システマ初参加の予約当日。
会場への所要時間に30分上乗せして家を出たというのに、結局迷って、練習場である体育館に10分近く遅れて到着した。
ステマの予約は、プライベートクラスを希望した。いきなり沢山の人に混じるのは、ハードルが高かったからだ。
だけど、それが私一人のために、システマの先生を待たしていると言う状況を作ってしまった。
武術とかは礼儀が厳しいから、もしかしたら、予約取り消しかもしれない。初参加で遅刻とは情けない。頭の中で整理がつかないまま、おそるおそる、武道場の引き戸を引いた。
最初に私の目に入ってきたのは、高い天井と緑色の畳の抜けた空間に男の人が一人、ぼ~っと立っている光景だった。
この人が、システマの先生だろうか。いや、まさかこの人が武術をやっている人のはずがない。
いくらなんでも、ぼ~っとしすぎている。
スーパーの出入り口につながれてる飼い主を待つ犬だって、もう少し気を張って待っている。
部屋を間違った。そう思い、私は帰ろうとした。
しかし、この、まさかの人がシステマの先生だった。
改めて、対面してみた先生の第一印象は、理工系の南方アジア人留学生(僧籍保有)といった感じだった。
画像では小柄なイメージだったけど、実物は、大きく感じた。
身長は成人男性平均くらいだけど、体に密度のある厚みがあった。それが大きく感じさせているのかもしれない。手の甲や指には打撃系格闘技をやる人にある拳だこがあった。
武術を生業にしている人なんだなあ、と思った。
職業は体に出る。スーツを着せてもサラリーマンに見えることは絶対にない。
まず遅刻したことを謝ったが、遅れたことはまったく気にしていないようで、早速、システマで、何がしたいかを聞かれた。
挙動不審全開で、全くのシステマ初心者で何がしたいかもわからないと告げると、「では、基礎から一通り体験してみましょう。」ということになった。
呼吸する、背骨をまっすぐにする、動き続ける、リラックスする、という「システマの4大原則」をざっと理論とともに教わった。
本で繰り返し読んであれこれ頭の中で予習をしていたものに比べると、実際のワークは実にシンプルだった。
軽い雑談を交え、淡々とワークが進む中、先生から「ストライク、受けてみますか?」と聞かれた。
『システマのストライクを受ける。』
儀式めいた言葉だけど、物理的には「腹部を殴られる。」ということだ。とどのつまりが「腹パン」だ。
初心者の私に、それを言うということは「ストライク」を受けても、この人は大丈夫と思ったからだろう。それを信じて、私は「受けてみます。」と答えた。
ステマではリラックスし、受けた痛みを呼吸で逃がすという。
痛みを意図的に逃がすとは、そんなことが本当に可能なのか。修験者が赤々と燃える炭の上を歩いても火傷しない「火渡り」みたいなアレか?
なんて、これからストライクを受けるのに、余計な事を考えてはいけない。大事なのは呼吸。リラックス。
棒立ちの私のお腹に先生はまっすぐ拳を打ち込んだ。

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痛い。
言われたとおり呼吸をしたが普通に、普通に、実に普通に、痛い。
「どうですか?」
痛みで意識が軽く遠のいている私を、先生の声が呼び戻した。
「ちょっくらJAROに電話していいですか?」と言ってしまいそうなのを全身全霊で押さえ込み「本当に呼吸すると耐えられるんですね。」と私は笑顔で返した。
すごい、耐えたぞ私。今の私なら「紅天女」の座を狙える。
先生は私の名演に見事にだまされてくれたのか、はたまたJAROへのコールを阻止するためか、その後も間髪入れず連続してストライクを私の全身にくれた。
先生、おそろしい子! 

人間サンドバッグタイムが終了すると、先生は私に畳の上に横になるように指示した。
ダメージからの回復のためだという。
ひんやりとした畳の上に寝そべると、なぜか先生も横になった。
殴った先生も、なぜ横になる?というツッコミは初対面なので控えておく。
はたからみたら、瀕死のゾウアザラシが二頭、海岸に打ち上げられたような、奇妙な光景がはじまった。
武道場の高く遠い天井に張り付いた照明が、ゆるやかに二頭をグリルする。遠火焼きってやつだ。
私はここで何をしているのだろうか。
先ほど、私は一方的に殴られて痛い思いをした。そして横に、一方的に殴った人がいて、いっしょに転がっている。
客観的には、そういうことだ。
そういうことなのに、なぜ、こんなに穏やかに同じ天井に焼かれているのか。
「ダメージからの回復は本人が思っているよりもずっと時間がかかるんですよ。」と先生が言った。
同時に「それにしても、焼きあがらないなあ。」なんて思い始めていた頃でもあった。心を読まれたのかもしれない。

終了の時間が来て、料金を支払い終わると、「システマ、どうでした?」と先生に聞かれた。
いつもの私だったら、とりあえず「はい。システマは楽しかったです。」と語学の教科書にでてくるような口調で返事をするのだけれど、その時は「……なんか、よくわからなかったです。」と、ごにょごにょとこたえた。(日常生活でほとんど会話しないので口が回らない。)
先生はちょっと残念そうな顔をしながら、「よかったらまた来てください。普段のクラスは予約は要りません」と練習会場と時間をざっと説明してくれた。
翌日、ストライクをうけた腹部にはじんわりと痛みが残り、二日ほどかけて痛みは抜けていった。
呼吸やリラックスが上手にできていなかったからなのだろうか。
一度でも体験してみれば、全部でなくても少しは「ああ、こういうものか。」とスッキリすると思った。だけど、体験をしてみたら、ますます、わからなくなった。
わからなかったものは、仕方ない。
格闘技や武術の道場やジムは都内に沢山ある。そのうち、「これだ!」というものがみつかるかもしれない。
でも、「そのうち」っていつだろう。「これだ!」ってなんなんだろう。

あくる月、私は体育館の引き戸をおそるおそる引いた。
そこにはひと月前と同じ、高い天井と緑の畳があった。
そこにはTシャツ+ジャージ姿の大人が数人いて、全員いっせいに「誰?」という顔で私を見る中、理工系の南方アジア人留学生(僧籍保有)っぽい人だけが、「……あ、この間の人だ。」という顔に変化した。
こうして、どういうわけか、私はシステマをはじめることになった。
この時、私はまさか、自分がシステマの本部があるモスクワに一人で行くなんて、ひとかけらも想像していなかった。

 

 

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