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一人遊びと動く瞑想

システマ

先日のシステマのクラスは、腕や足などを動かして、それに生じた力で重心の移動を感じたり、重心の移動から生まれた新たな張りや変化を感じるというものだった。
人を何度も入れ替えて組む通常のワークや、大人数でもみくちゃになるマスアタックというワークよりも、私はひたすら一人でできるものの方が好きなので、楽しかった。
ところで今、世間は瞑想やマインフルネスがブームだ。そのやり方のほとんどは、座って呼吸を感じるというもの。私はじっとしているのが得意だけれど、長時間じっと座っているとエコノミー症候群になってしまわないのかな?という余計な心配をしてしまう。(そこまで長時間、瞑想をする人はいないだろうけど。)
じっとして呼吸を感じる以外にもできる瞑想がある。有名なのが「歩き瞑想」など。歩く際に、踏み出した自分の足に意識を集中して、瞑想するというものだ。動の瞑想、とでもいうのか。
ステマのこういった、ひたすら自分の体を内観するワークは、動の瞑想のようなものだと思う。(「のようなもの」と付けたのは、今の私には断言する自信がないから。)

足を一歩、踏み出すと、足の裏に圧がかかり、ふくらはぎや大殿筋を昇って、指先や首にまで力がくる。続けていくと、指先の第一関節に血が集まって重くなってきたり、頭がバランスを取ろうと首筋が緊張してきたり、ただ一歩、歩くだけなのに、体は総動員しているのがわかる。
生じた力をどこに逃がすか、頭で考えて「ここに逃がそう」とすると、伝わってきた力が、切れる。切れてしまったらそこまでで、もう一回やり直し。
そうやって、考えず感じるだけに集中していると、体の中のつながりが一つになって、いきたい方向へと、流れていく。
やっぱり、「動く瞑想」っぽいと思う。
はたからみると、ゆらゆらした踊りのようで、変な人に見えるのだろうけど、やっている側は……というか、私はとにかく楽しい。
私は、子供のころから一人遊びが得意だった。

漢字研究の第一人者、白川静氏は著書で「遊」という漢字について、こんなことを述べていた。

「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。(中略)遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる」遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる」

遊ぶことと動くことが同じで、それは自由と創造の世界で、神の世界でもあるなんて、素敵な話だ。
私はこれからも、ずっと一人の世界でゆらゆら動きながら、遊んでいきたいと思う。

 ところで、人をあらわす人偏(にんべん)に「動」がついた「働」という漢字。

この漢字は日本で作られたらしい。なんか、「いかにも」といいたくなった。

 

  

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