信号は常に青

仕事をやめた。
やめた理由はたいしたことではないので細かいことは書かない。
就労において、私にはまったく武器がない。なにせ元ひきこもり。これからどうなるんだろうかと思う。でも、どうにでもなるような気がする。

数年前まで、私の家庭は認知症の家族と、医者にさじを投げられ余命を待つ家族、そして準引きこもり(鬱はほぼ寛解状態)の私を抱えていた。
こう書くと、なんかえらく困難な家庭のように思えるかもしれないが、家庭というのは健康問題や経済的な問題、家族間の不仲といった、なにかしらの病理を抱えて運営されている。私の家が特段、不幸の温床だったというわけではない。たまたまタイミングが重なっただけだ。
介護や闘病はテレビなどでは演出され感動的にまとめられることが多いけれど、実際はむきだしの感情が家族間で行きかう。
その中で、私は孤立した。一対その他家族という構図になった。それまで、準ひきこもりだけど、通院のつきそいや身の回りの世話をしてきた私はキレた。
「出て行ってやる。私がいなくなったことを後悔しろ。」
ちょっとの着替えとお財布をもって家から飛び出した。それからしばらく、都内の漫画喫茶とカプセルホテルに寝泊まりしていた。
やがて、金銭が心もとなくなってきた。それと同時に家族はどう過ごしているのか、探りを入れるために電話をかけた。
いままで、仕事がある他の家族の代わりに私は働いてきた。困っているに違いない、帰ってきてくれと言われるに違いない、そう思った。
ところが、家族はまったく困っていなかった。なんのかわりもなく、家族は運営されていた。そして、家族の余命が本格的なカウントダウンに入ったことを告げられた。
電話を切った後、茫然とした。家族の余命ではなく、自分が「尽くしてやった」と思い込んでいたことに。
すべて馬鹿らしくなり、お金もそろそろ尽きることだし「死んでやろう」と思った。*1
12月の年末にはいった寒い夜だった。JR駒込駅前の本郷通りに寝っ転がった。(駅員さんなどになるべく見えない、ところに。)
さあ、轢いてください。ミンチになるまでどうぞ!
しかし、いくら待てども車は来なかった。
本郷通りは大きな通りで、普段はとても車の通りが多いのに。夜になったといえども、一台も来ないとはどういうことだろう。年末だから?そのうち体が冷えてきて、立ち上がった。
目に入った通りの信号はすべて青だった。近くの信号から遠くの信号まで、全て、青、青、青。
家族の通院のため、車で通る時は必ず赤信号に引っかかるというのに、その時はすべて青。
なにこれ!?と思った。いったん思考を整理するため、カプセルホテルに今日は泊まろうと思った。その時も、向かう先の信号は青。赤かな、と思っても絶妙なタイミングで青に変わった。ドッキリ企画か何かがあって、自分の後ろにリモコンで信号を操作をしている人がいるんじゃないかと思ったほどだった。

世界というのは、泣き叫んでもどうにもならないような絶望があるかと思えば、ふとしたことの中にとてつもなく美しいものや、粋なはからいをくれることがある。
だから、私はいまだに世界を残酷とも素晴らしいとも決められない。そして、そんないい加減な世界が、わりと好きだったりする。

カプセルホテルにチェックインし、浴場の湯船につかって冷えた体を温めた。汚れた服をコインランドリーで洗濯している間、設備の本に「天才柳沢教授の生活」をみつけた。とても面白くて一気に全巻読んだ。思考が完全に溶けた。
翌日、私は頭を下げて家に入れてもらい、3か月後に家族を看取った。

私はとてつもない方向音痴だ。実際に道を歩く時も、生きていく進路設定も、どうしようもない道を選択してきた。でも今思うと、道はどうしようもないけど、信号はすべて青だった。
これからも私は、この世界で最短でもなければ、整備もされてはいない、どうしようもない道に迷い込むと思う。けれど、それはとても面白い道で常に青信号だという確信がある。
道は人の数だけある。でもどの道も信号は常に青。
そんな気がする。

そして、唐突だけど、私はまたロシアへ行ってくる。

*1:自殺未遂というよりも自暴自棄みたいなものです。

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